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6つの内容をざざっと紹介3
<令和2年(2020年)5月7日更新>

 今回は『6つの内容をざざっと紹介』の第3弾です。第2弾は平成25年(2013年)1月なので、7年4ヶ月ぶりになります。これまでに撮影した写真を使って小ネタを6つ作成しました。懐かしい思い出話が多くなるかと思いますが、お付き合いください。今回紹介するのは『西尾線を走った快速急行』『ホームの列車案内を紹介』『今は昔 地上のホームがありけり』『南桜井駅は、まだない。』『クイズ!これってワンマン?』『西尾線特急が渡る矢作川』の6つです。それではご覧ください。どうぞ!


 今回は小ネタ集です。

 今回の『これが、西尾線。』は小ネタ集です。左の6つのネタを写真4枚づつ使用して進めていきたいと思います。ちなみに、写真は平成18年(2006年)6月に撮影した新安城駅で運行前の確認作業中の蒲郡行き始発列車です。ということで、今回は懐かしい思い出話が多いですがご覧下さい。


 西尾線を走った快速急行

 セントレア開港に伴う平成17年(2005年)1月改正時に西尾線にも誕生した快速急行という種別。栄生駅を通過するだけのために設定された西尾線の快速急行は、栄生駅に停車するようになった平成20年(2008年)12月まで活躍しました。4年弱の命だった西尾線内の快速急行の写真をご覧ください。

 まずは快速急行西尾行きです。現在、西尾線では急行が30分間隔で運行されていますが、当時は特急とペアで設定されており、快速急行西尾行きは1時間間隔で運行されていました。

 快速急行佐屋行きです。西尾線内で快速急行として運行されていても、急行だろうが快速急行だろうが、名古屋までの停車駅は同じでした。

 平成20年(2008年)6月。吉良吉田駅に蒲郡線との『のりかえ改札口』が設置され、ワンマン列車が蒲郡線のみとなり、快速急行が吉良吉田まで延長されました。この時から快速急行は30分間隔の運行になり、それまで6000系列の車両ばかりだった西尾線の快速急行に3500系などのVVVF車も使用されるようになりました。同年12月の改正で快速急行から急行に変わったため、快速急行吉良吉田行きは半年しか運行されていません。


 ホームの列車案内を紹介

 ホームの列車案内を4つ紹介します。こちらは平成13年(2001年)12月に撮影した新安城駅名古屋方面の列車案内です。急行新岐阜行きが2連続で表示されています。これは日常かつ頻繁に見られた表示ですが、当時は現在のダイヤと違って、(1)豊橋からの急行新岐阜行きが新安城で特急(現 快速特急)を待避していた(2)豊明-東岡崎駅間では普通列車が30分間隔だった(3)豊川稲荷からの急行も新岐阜行きだった ことが要因として挙げられます。

 平成14年(2002年)、平日朝の知立駅です。急行弥富行きの特別停車駅が各駅停車で興味深いですね。見づらいですが『豊明・前後・中京競馬場前・有松・左京山停車』と表示されています。当時は準急の設定が無く、前後駅が普通停車駅でした。ちなみに、吉良吉田駅が始発駅です。

 再び新安城駅です。平成18年(2006年)の標準ダイヤです。毎時1往復運行された豊橋駅始発の特急中部国際空港行きは、金山駅で太田川方面ホームである3番線に止まり、神宮前に2回停車する面白い列車でした。しかし、名古屋まで行かないことから、西尾線普通列車からの接続列車も特急ではなく快速急行岐阜行きでした。快速急行岐阜行きは特急に抜かされることなく神宮前や金山まで先着します。

 そして、中部国際空港駅です。まだ『ミュースカイ』の種別がなく、列車愛称としてのミュースカイが快速特急だった頃、平成18年(2006年)5月の列車案内です。当初3両編成だったミュースカイが4両編成に移行する時期で、3両と4両が混合した7両になっています。


 今は昔 地上のホームがありけり

 今では高架化された駅が地上駅だった頃に撮影したものを紹介します。まずは西尾線の桜井駅です。当時の駅名は碧海桜井でした。のどかなローカル駅の雰囲気を感じます。

 続いて平成14年(2002年)の鳴海駅です。鳴海駅を特急新岐阜行きが通過しています。地上時代の鳴海駅は、今と違って真ん中が本線でした。ちなみに、この写真は急行佐屋行きを須ヶ口駅まで追い迫る特急新岐阜行き(現 快速特急新鵜沼行き)を紹介する中の1枚です。

 平成18年(2006年)の太田川駅です。パノラマカーの急行内海行きが到着しています。常滑線・河和線の駅ということで西尾線から離れた駅の写真ですが、この写真は西尾駅から住吉町駅まで、今は亡き空港バスと名鉄電車利用とどちらが利便性が高いか競争した中の1枚です。

 最後に平成14年(2002年)の蒲郡駅です。ホームには吉良吉田行きではなく西尾行きが停車しています。名鉄の蒲郡駅は既に高架駅ですが、隣接するJRが地上駅です。高架化工事の真っ最中の様子がうかがえます。


 南桜井駅は、まだない。

 南桜井駅は平成20年(2008年)6月29日に開業しました。左の写真は平成19年(2007年)6月17日に南桜井駅の建設箇所を撮影したものです。

 開業の1年前ですが、まだ影も形もありません。

 1年後、ここに南桜井駅が開業します。そしてこのあたりから桜井駅までは複線区間となります。

 普通列車が時速100キロで飛ばしていた箇所も、現在は急行も止まる箇所になりました。大企業の存在は人の流れに大きな影響を与えているのだと改めて思います。


 クイズ!これってワンマン?

 現在は蒲郡線で運行されているワンマン列車は、平成20年(2008年)6月28日まで西尾線も含む西尾-蒲郡間で運行されていました。ということでクイズに答えていただきましょう!左の列車はワンマン列車か否か。これってワンマン?すぐに答えにいきますよ。答えは、桜町前駅はワンマン運行区間ではないのでワンマン列車ではありません。車掌さんが乗っています。

 2問目です。これってワンマン?それでは答えです。前の系統板に『運転中』と書かれていますが、桜町前駅はワンマン区間ではないのでワンマン列車ではありません。運転室の『ワンマン』の表示は折りたたんでしまわれています。この後、西尾駅からワンマン列車となるため系統版だけとっとと掲出しているのだと思いますが、今だと厳しいご指摘を受けてしまいそうな判断です。

 3問目です。これってワンマン?ということで、答えです。運転室に『ワンマン』の表示が見えるものの、運転室に3名いて、最後尾に車掌の姿が見えます。そして西尾口駅はワンマン区間ではありません。なので、ワンマン列車ではありません。ちなみにこの列車は、西尾口-西尾駅間の複線区間の使用を開始した日、新たに敷設した方の線路を通る一番列車です。

 最後の問題です。左は当時のワンマン運行区間内である三河荻原駅に到着する普通蒲郡行きです。これってワンマン?答えはワンマンではありません。現在の蒲郡線ワンマンと異なり、当時は平日朝や特急など、ワンマン区間でも車掌が乗務する列車がありました。ちなみに、この日は三河荻原駅と鎌谷駅の最期の日。ありがとう、さようなら、三河荻原駅。


 西尾線特急が渡る矢作川

 平成29年(2017年)5月26日。桜町前-米津駅間にある矢作川を特急須ヶ口行きが通ります。この風景が数ヶ月後には大きく変わります。

 同年9月26日の様子です。特急須ヶ口が通る鉄橋の橋脚に向けて、作業が行われた様子が見て取れます。ちなみに、今回、電車は関係ないです。

 年が明けて3月の様子です。見た目が変わって、ずいぶんとスッキリしましたね。この年は写真手前の7番の桁から写真右奥において、河積阻害になっていた樹木が撤去されたようです。

 作業に関わった皆様、お疲れさまでした。


 以上、6つのネタでした。

 ということで、今回は6つのネタを紹介しました。皆さん、楽しんでいただけましたでしょうか。懐かしい、思い出話をさせていただきました。西尾線から直通する蒲郡行きも、SR車も、今は懐かしい思い出です。

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