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  全国総合開発計画って何?  
全総こと、全国総合開発計画とは一体何なのか。平成11年頃、学生だった私が自分なりにまとめたものです。
まぁ、参考にでもしてもらえれば。。


 全国総合開発計画は、当時の国土庁(新全総までは経済企画庁)が策定している計画であり、日本の現状を把握した上で今後どのように国土計画を進めていくかを提示するものです。つまり、全総は、国土計画の道しるべのような役割を担っているといえます。

 最近では、平成10年3月に第5番目の全総が策定されました。

 このページでは、全国総合開発計画において、どのようなことが述べられているかを自分なりにまとめます。主観的なものが入ることもあるかもしれませんが、反論や意見等がありましたら、指摘していただきたいと思います。
 
全国総合開発計画(一全総)
 全総が最初に策定されたのは昭和37年の「全国総合開発計画」(以後、一全総と称します。全総と称すこともありますが、ここでは全総全体での呼び方と区別するため「一全総」とします。)でした。昭和37年の時代背景としては、3年半にわたる岩戸景気により工業が発展し、GNPや国民所得が著しく上昇した時期であり、これに伴って工業の盛んな都心部と農村との人口や生活レベル等の格差が生まれてきました。つまり地域格差問題が顕著に現れてきたといえます。また、都心部においては人口集中により下水道整備等の生活基盤整備の立ち後れが目立ち始めたことも問題となりました。一全総はこのような時代背景を考慮し、地域格差の是正,都市基盤整備の充実を目指し、目標年次を昭和45年として施行されました。

 その目標を達成するための開発方式は、「拠点開発方式」を採用しています。「拠点開発方式」とは、大都市圏からある程度離れた地域に、工業地域や都市を開発する拠点(開発拠点)を配置し、それらを大都市圏と交通・通信網で結ぶ開発方式です。

 地域格差等の問題は工業の発展が大都市に集中したことが要因であることから、目標達成のためには工業や都市の分散を図ることが有意義といえ、そのための方針が「拠点開発方式」といえます。
 
新全国総合開発計画(新全総)
 次に、一全総策定から7年後の昭和44年に、「新全国総合開発計画」(以後、新全総と称します。)が策定されました。一全総施行期間においては、景気が急激に上昇し(いざなぎ景気)たことにより、「拠点開発方式」では地域格差等の諸問題を解決するまでには至らず、人口,産業等の大都市集中が依然として続いたというのが現状でした。また、所得の増大によって国民の価値観は、物質的な豊かさから環境や精神的な豊かさへと移行したことから、その変化を踏まえた計画を策定することが必要となりました。

 そのため、新全総では地域格差等の諸問題解決のため、自然との調和,安全で快適な環境条件を考慮に入れつつ、開発可能性を全国土に拡大するという基本目標を掲げました。そして、目標年次を16年後の昭和60年として長期を展望し、その目標達成のための開発方式として「大規模プロジェクト構想」を取り入れました。

 「大規模プロジェクト構想」とは、新幹線や高速道路等のネットワークを整備し、大規模プロジェクトを推進する開発方式で、それにより開発可能性を全国土に拡大し、しいては地域格差の是正に結びつくことを期待しました。このような、ある意味大胆な開発方式が策定された背景には、いざなぎ景気が大きくからんでいると考えられます。
 
第三次全国総合開発計画(三全総)
 新全総の目標年次は昭和60年ですが、計画施行中の昭和52年に、「第三次全国総合開発計画」(以後、三全総と称します。)が策定されました。これは、新全総策定後にオイルショックを境にして高度成長から安定成長へと移行したこと、また経済以外にも人口流動の変化が見られ、昭和45年には大都市圏外の人口流出が大幅に減少し、それ以後、緩やかな減少で推移していることから、大規模プロジェクトや通信網等の各目標が現実に見合わなくなったためといえます。

 それを踏まえて策定された三全総では、基本目標を国土を保全した上で利用し、経済社会の新しい変化に対応すること。そして居住環境の総合整備を進めることにより、地域格差等の諸問題に対応することとし、その目標達成のための開発方式を提案しました。目標年次は策定年次からおおむね10ヵ年なので、新全総とほぼ同時期といえます。

 三全総の開発方式は「定住構想」です。「定住構想」とは、大都市への人口集中を抑制する一方で、地方を振興し、過疎過密問題に対処しながら全国土の利用の均衡を図り、人間居住の総合的環境の形成をする方式です。つまり、三全総では特に地方の居住環境を整備することによって地域格差を是正する方法をとったといえます。

 その居住環境については、「基本フレーム指標」によってその目標値を定めています。「フレーム」とは、都市計画等において人口,経済などの各指標や施設整備の達成すべき目標値のことですが、ここでは各指標を「基本フレーム指標」と称することにします。「基本フレーム指標」については、他の全総にも存在するのですが、特に三全総では人口や世帯数、労働力、所得水準、自由時間、工業・生活・農業用水等、生活環境に基づいた各指標を具体的な目標値で設定しています。

 また、各地域の居住環境整備については、それぞれの地域の歴史や特性を生かし、個性ある街を創造することが必要であるという意味合いのフレーズが三全総には何回も使われており、これこそが定住構想遂行の要であるといえるでしょう。
 
第四次全国総合開発計画(四全総)
 そして昭和62年には、「第四次全国総合開発計画」(以後、四全総と称します。)が策定されました。

 策定年次における社会状況としては、まず、大阪圏等の大都市圏への集中はほぼ横ばいで 推移しているものの、東京圏に関しては人口集中が進んで、いわゆる一極集中の傾向にあったこと、産業構造においてサービス産業を主とする第3次産業の成長が著しく、工業を主とする第2次産業を追い抜いたことなどが挙げられます。そこで、地域活性化のためには、多様な産業振興施策の展開や、また全国的なネットワークを考慮して三全総の定住構想をさらに発展させる必要があることを四全総では指摘しています。また、併せて、これからの国土計画においては本格的な国際化の進展も踏まえて計画を策定する必要があることも述べています。

 これらを踏まえて、四全総では、目標達成のための開発方式として「交流ネットワーク構想」を打ち出しました。これは、三全総における定住構想に、交流ネットワークの概念を加えた開発方式です。つまり、独自性のある地域開発を行うのと同時に、交通・通信のネットワークの整備や姉妹都市をはじめとする各地域間での交流を促進することにより、多極分散型国土の形成、地域格差の是正ををめざす開発方式といえます。そのため、先の「基本フレーム指標」については、三全総と同じく様々な指標が設定されており、特に「交流ネットワーク構想」「国際化の進展」に基づいて、交流に関する指標が三全総と 比較して大幅に増加していることが特徴です。
 
21世紀の国土のグランドデザイン−地域の自立の促進と美しい国土の創造−(五全総)
 そして、平成10年3月31日、5番目の全総である、「21世紀の国土のグランドデザイン −地域の自立の促進と美しい国土の創造−」(以後、五全総と称します。)が閣議決定されました。目標年次は2010〜2015年です。今回策定された全総は、人口増加の終焉や環境保全の重視等、社会状況の変革に対応するため、いままでと違う全く新しい全総を策定しようということから、名称も「第五次全国総合開発計画」ではなく、このような名称になりました。そして五全総の目標は「21世紀の国土のグランドデザイン」として提示された構想を達成することです。となると、「21世紀の国土のグランドデザイン」とはどんな構想であるのかを把握すれば五全総が理解できるといえます。

 さて、「21世紀の国土のグランドデザイン」については第1部・第1章において述べられています。

 そこでは、五全総の施行期間、つまり今後21世紀初頭にかけては、国土とそれを構成する地域とをめぐる諸状況は、戦後のそれとは大きく異なるものになると指摘し、具体的には次の4項目を挙げています。

@国民意識の大転換:量より質、所得よりゆとり、また自由な選択や自己責任、自然への再認識、男女平等への変換
A地球時代:国境をこえ、地球全体がひとつの圏域と化している。
B人口減少、高齢化時代:人口ピラミッドの変化
C高度情報化時代:経済社会の様々な側面において情報通信の果たす役割が飛躍的に高まろうとしている。

つまり、これらに対応した社会を創造することが「21世紀の国土のグランドデザイン」の構想であるといえます。

 そしてさらに、「これらに対応した社会の創造」するための構想が提示されています。それは、国土構造転換です。五全総では、現在の国土構造に至る過程を示しています。まず、戦前、重化学工業が発展するにつれて資源輸入に便利な臨海型の工業地帯が太平洋側に整備されました。これが現在の国土構造の起因となるものです。戦後になると、その基盤のある地域に官民の集中的な投資が行われることにより、就業機会を求めて人口が移動して太平洋ベルト地帯が形成されました。ここに、一軸集中ともいえる国土構造が展開されたわけです。

 その後、経済が高度成長から安定成長へと移行したことにより、サービス化,ソフト化が進み、企業の中枢管理機能,金融の東京集中が進んだことから、東京一極集中へとつながりました。

 現在は、その東京一極集中に変化の兆しが見られ、地方中枢都市の拠点性が高まっていながらも、依然東京への集中度が高いことを指摘しています。

 つまり、これまでの全総で解決しようとしてきた「地域格差」は、この国土構造によるものと考え、根本的にそれを転換することにより、諸問題解決を目指そうとしたといえます。

 そして国土構造の変化は、社会状況が変化したときに起こっていることから、先に述べた通りの将来展望のもとでは国土構造転換をするのに可能な時期としています。

 以上のことを踏まえて、五全総の開発方式は新国土軸による「多軸型国土形成」の推進としています。つまり、様々な共通性を持った地域の連なりが圏域としての輪郭を次第に明瞭にし、その圏域(国土軸)が複数存在することにより、相互に連携して国土を形成していく国土構造を目指しているわけです。具体的には以下の4軸を構想しています。

@北東国土軸:中央高地から関東北部を経て、東北の太平洋側、北海道に至る地域。
A日本海国土軸:九州北部から本州の日本海側、北海道の日本海側に至る地域。
B太平洋新国土軸:沖縄から九州中南部、四国、紀伊半島を経て伊勢湾沿岸に至る地域。
C西日本国土軸:太平洋ベルト地帯。

太平洋ベルト地帯は明治以降100年を超す時間が費やされて形成されたことから、これら4軸も長期的な視野に立って取り組むとしています。


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