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乗客数対決!西尾線の駅 その4 ~福地駅vs上横須賀駅~
(2018年2月14日更新)

 西尾線の駅の内11駅を似たような駅で組み合わせ、乗客数の推移を比較する企画の第4弾です。今回は、西尾-吉良吉田駅間にある福地駅と上横須賀駅の対決です。データソースは昭和25年度から昭和32年度と昭和53年度から平成22年度までは愛知県統計年鑑、上横須賀駅の昭和45年度から昭和52年度は吉良の統計、福地駅の昭和40年度から昭和52年度と両駅の平成23年度以降は西尾の統計で、掲載された年間乗客数を採用しています。ただし、昭和45年から昭和51年までの吉良の統計の値は年度ではなく年次で掲載されており、それをそのまま採用しています。単位は昭和53年度以降の愛知県統計年鑑と吉良町の統計が『人』、昭和32年度以前の愛知県統計年鑑と西尾市の統計が記載された『千人』を1000倍して『人』にしています。それでは、ご覧ください。


 福地vs上横須賀

 今回は、西尾-吉良吉田駅間にある福地駅と上横須賀駅の対決です。

 西尾駅より南にある両駅は、昼間は毎時2往復の急行のみの運行です。特急も終日運行されていないため、全列車が停車する急行停車駅になります。

 福地駅は西尾市川口町にある4両ホームの2面2線の駅です。大正4年2月に一色口駅として開業しました。福地駅の南は大きくカーブしていますが、これは福地駅を一色への街道に接続するために西側に寄せたことにより出来た線形です。

 平成20年6月の改正より前までの福地駅は普通停車駅で、標準ダイヤの時間帯には1時間当たり2往復の普通列車が停車していました。改正後は標準ダイヤの時間帯の普通列車の運行がなくなり、毎時2往復、快速急行や準急が停車するようになりました。現在は快速急行が急行に変わったため、急行停車駅となっています。

 上横須賀駅は西尾市吉良町上横須賀にある4両ホームの2面2線の駅です。福地駅に遅れること半年の大正4年8月に開業しました。平成20年6月改正より前は特急停車駅でしたが、改正後はこの区間の特急の運行がなくなったため、快速急行停車駅になり、同年12月の改正で快速急行が急行に変更されたため、上横須賀駅は急行停車駅になりました。

 さて、福地駅と上横須賀駅の乗客数を語る上で確認しておきたいのが、平成18年12月に廃止された鎌谷駅と三河荻原駅です。鎌谷駅は福地-上横須賀駅間にありました。

 そして、三河荻原駅は上横須賀-吉良吉田駅間にありました。この2駅が廃止された影響はどの程度あったのでしょうか。

 ということで、福地駅と上横須賀駅の対決をご覧ください。


 乗客数の推移をみていきましょう!

 福地駅と上横須賀駅の乗降客数の推移は左の通りです。昭和40年代前半の福地駅の減少と昭和60年頃の上横須賀駅の大幅減と平成17年頃からの福地駅の増加が目立ちます。

 昭和40年代前半に福地駅の乗降客数が落ち込みますが、その理由はこれまで何度も出てきたとおり、特急中心のダイヤかと思います。

 昭和40年前半の西尾線は特急中心のダイヤで、例えば昭和45年の昼間の福地駅は、これまでの対決の中で紹介した西尾以北の普通停車駅と同じく、毎時1往復の普通列車が停車し、毎時2往復の特急列車が通過していました。福地駅の隣の西尾駅は全ての列車が停車していたため、福地駅の利用者が西尾駅に流れたものと推測できます。

 ちなみに、福地駅が普通停車駅であった頃、福地駅は西尾線の普通停車駅で唯一すれ違える駅でした。特急同士のすれ違いが福地駅で行われていた時期もありましたが、福地駅は通過駅のため、停車して反対列車を待つ間も扉は開きませんでした。

 そして、昭和60年度61年度に上横須賀駅は大幅に乗客数が減少します。いったい何があったのでしょうか。

 それは、昭和60年8月の吉良高校の移転です。吉良高校は現在吉良町白浜新田にあって最寄り駅は吉良吉田駅ですが、以前は上横須賀にありました。高校移転の影響で、上横須賀駅の乗客数は40%も減少してしまいました。

 しかし、上横須賀駅の減少はそれだけにとどまりません。昭和62年度の減少は抑えられているものの、昭和63年度と平成元年度に再度大きな乗客数の減少がみられます。昭和63年の中頃に何があったのでしょうか。とりあえず『昭和63年 上横須賀』で検索してみると、Wikipediaの上横須賀駅のページが出てきて、『昭和63年9月1日 無人化』と記載されていました。まさか、駅員が居なくなって、キセルする人が増えたから?いやいやいや、そこまで当時の上横須賀駅の利用者は悪い人ではないと思います。思いたい。

 そして、平成17年頃から両駅とも増加傾向になります。平成18年12月に鎌谷駅と三河荻原駅が廃止されたため、平成18年度と平成19年度の乗客数が増えるのは理由として容易に思いつきますが、その後も変わらず増加傾向を示していることから、その他にも要因があるのでしょう。特に福地駅は大幅な増加が続いています。

 平成20年6月のダイヤ改正で、両駅に停車する列車は西尾-蒲郡駅間のワンマン列車から吉良吉田駅から名古屋方面に直通する快速急行や準急に変わりました。福地駅の乗客数が増加したひとつの要因は、西尾駅よりも早く名古屋直通列車に乗車して席を確保することができることかと思います。

 しかし、福地駅の乗客数は平成17年度から10年で3.1倍にもなっており、まだまだこれからも伸びていくのではないかと期待できる状況になっています。福地駅を中心にもう少し広い視点でこの地域を見てみると、福地駅から4kmほど西では寺津北部地区や平坂東部地区などの区画整理事業により新規の住宅が増えており、吉良吉田-碧南駅間の三河線の亡き今、最寄り駅は福地駅になります。渋滞が無ければ車で10分ほどの距離なので、福地駅の増加に寄与しているのかもしれません。

 そして平成27年度。昔は普通停車駅だった福地駅は、特急停車駅だった上横須賀駅の乗客数を抜きました!その勢いがどこまで続くのか、今後、どう推移するのか楽しみです。


 勝敗をつけず、次の対決へ。

 ということで、今回は福地駅と上横須賀駅の乗客数を比較しました。鎌谷駅と三河荻原駅の廃止の影響が、あまり目立ってないのが意外でした。次回は最後、西尾口駅と堀内公園駅の対決です。それではまた、ごきげんよう。

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