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乗客数対決!西尾線の駅 その1 ~桜町前駅vs米津駅~
(2017年12月30日更新)

 西尾線には新安城駅を含め14の駅があります。その中で新安城駅、西尾駅、吉良吉田駅を除く11駅を停車種別などで似たような駅を組み合わせ、乗客数の推移を比較したいと思います。題名で『対決!』と書かれていますが、勝ち負けを決めずに、ただただ比較し、それらの駅の特徴を紹介できればいいなと思っております。5組の対決を紹介していく予定ですが、今回は、西尾駅以北の急行停車駅である桜町前駅と米津駅との対決です。データソースは昭和25年度から昭和32年度と昭和53年度から平成22年度までは愛知県統計年鑑、昭和40年度から昭和52年度と平成23年度以降は西尾の統計で、掲載された年間乗客数を採用しています。昭和33年度から昭和39年度まではデータが欠落しています。単位は昭和53年度以降の愛知県統計年鑑が『人』、昭和32年度までの愛知県統計年鑑と西尾市の統計は掲載された『千人』を1000倍して『人』にしています。それでは、ご覧ください。


 桜町前vs米津

 乗客数対決!今回は、西尾以北の急行停車駅である桜町前駅と米津駅の対決です。

 急行停車駅は西尾-吉良吉田駅間にもありますが、全列車が各駅に停車する区間になります。桜町前駅と米津駅のある新安城-西尾駅間には普通停車駅や特急停車駅もあり、今回は『急行停車駅』の規模として設定されている両駅で対決していただきます。

 桜町前駅は西尾市緑町にある4両ホームの1面1線の駅です。米津-西尾駅間が開通した昭和3年に開業し、当時の駅名は『中学前』でした。中学とは今の西尾高校のことで、今でも高校生の利用が多い駅です。もともと普通停車駅でしたが、平成5年に急行停車駅に格上げされました。

 米津駅は西尾市米津町にある4両ホームの2面2線の相対式ホームの駅です。大正15年、今村(現 新安城)-米津駅間の碧海電気鉄道開通とともに開業しました。昔ながらの集落は駅の西側に広がっており、昔の駅舎は西側のみにありましたが、東側にも住宅が増え、平成19年の駅整備の際に東側からも駅に入れるようになりました。少なくとも昭和59年のダイヤ改正時までには特急停車駅に格上げされましたが、平成20年6月に快速急行停車駅に格下げされ、同年12月に快速急行の運行がなくなったため、急行停車駅となりました。

 ということで、そんな2駅の乗客数の推移をご覧ください。


 乗客数の推移をみていきましょう!

 それでは、両駅の乗客数の推移を見てみましょう。左のグラフの点線はデータが見当たらなかった期間です。大きな流れでみると、桜町前駅は昭和40年代前半に大きく落ち込み、昭和60年頃から大きく増加し、平成3年度に米津駅を超えた後も増加傾向は続いています。米津駅は昭和50年頃から減少傾向となり、桜町前駅に抜かされた後も減少が続きましたが、平成12年頃には下げ止まり、平成17年頃からは増加傾向に転じています。では、特徴のある箇所を順に見てみましょう。

 桜町前駅は昭和40年代前半に乗客数が激減します。何があったのでしょうか。

 こちらは昭和45年12月改正の時刻表です。桜町前駅と米津駅の時刻は西尾駅の発車時刻から適当に設定しました。昭和40年代前半の名鉄は小駅無視の特急中心ダイヤであったため、当時普通停車駅であった桜町前駅の利用者の何割かは西尾駅や米津駅を利用するようになったのでしょう。

 西尾線は三河線と違って乗客数の差が大きいことから急行が設定されていると思っていましたが、逆に優等列車を設定したからこそ乗客数の差が開いたという側面もあるようです。左の画像は平成元年に撮影された西尾線の前面展望のビデオをデジカメで撮影したものです。今はなき桜が満開です。

 そして、昭和60年くらいから桜町前駅の乗客数はうなぎ登りで増加します。

 バブル景気の時期とも重なりますが、周辺に住宅が増えたのが要因なのではないかと推測します。桜町前駅周辺は土地区画整理事業が盛んで、駅の西側で桜町地区が昭和42年まで、東側で戸ケ崎地区が昭和51年まで、桜町地区のさらに西側で鶴城地区が平成14年まで、伊藤地区が平成21年まで施工され、新たな住宅街が形成されています。そして平成3年度には、当時特急停車駅であった米津駅の乗客数を超えました。

 そんな好調な桜町前駅は、西尾高校生徒会からの要望もあって、平成5年4月に特別停車する急行が大幅に増え、同年8月に急行停車駅になりました。その後、平成20年6月のダイヤ改正により毎時1往復の特急が快速急行に置き換わったため、停車する列車本数が毎時3往復から4往復に増加しました。

 成長し続ける桜町前駅。自転車置場は大幅に整備され、駅前の踏切も拡幅されました。

 対して、米津駅は昭和49年度をピークに長い間減少傾向が続きます。有人駅でしたが、昭和60年に無人駅になりました。

 駅舎はあっても無人駅、それが米津駅でした。桜町前駅など他の無人駅には駅舎もなかったという意味です。

 そして、平成20年6月に特急停車駅から快速急行停車駅となり、現在は快速急行が運行されていないため急行停車駅になりました。とはいえ、同時に毎時1往復していた特急が急行に置き換わり、平日朝の特急はもともと米津駅を通過していたことから、深夜の特急西尾行きと休日朝の特急名古屋行きが通過となったくらいで、停車する列車本数は特急停車駅の頃とほとんど変わっていません。

 4両ホームというのも変わっていませんが、画像左の車の山は、今はありません。

 好調な桜町前駅も、芳(かんば)しくなかった米津駅も、平成17年頃からは揃(そろ)って乗客数が増え続けています。

 特に平成20年度に南桜井駅開業し、桜町前駅は平成27年度までの7年で33%も増加しました。

 米津駅も南桜井駅の開業以降増加し続けており、今後の展開が楽しみです。両駅とも南桜井駅の恩恵を受けているように思いますが、その辺りは次回、触れさせていただきます。


 勝敗をつけず、次の対決へ。

 ということで、今回は桜町前駅と米津駅の乗客数を比較しました。こんな感じで、あと4回続ける予定です。途中で別のネタも挟むかもしれませんが、あと4回、よろしくお願いします。次回は南安城、桜井、南桜井の3駅の対決です。それではまた、ごきげんよう。

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