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祝!市制60周年!昭和28年12月15日に現西尾市内にあった駅を全て紹介
(13年4月29日更新)
 テレビ放送が始まった昭和28年(1953年)の12月15日、西尾市が誕生しました。その後、周りの町村と合併し、吉良・一色・幡豆の3町とも合併して早2年。そんな今年、西尾市は市制60周年を迎えます。ということで、今回は西尾市の駅を全て紹介します。…が、現存する駅は既に2年前に紹介済みです。
 そこで、今回は廃止された駅も含め、60年前に現西尾市の区域にあった駅を全て紹介します。参考文献は『西尾鉄道開業百年よもやま話/西尾鉄道開業100年記念誌刊行会』『広報西尾 昭和28年12月15日号』『広報にしお 平成21年11月16日号』『愛知縣幡豆郡幡豆町全圖』『国土地理院地形図』『国土地理院 標高がわかるweb地図』『愛知県統計年鑑』『Wikipedia』です。現在までに廃止された駅の位置図も作成しましたので、下のリンクからご覧ください。そして今回、説明をしてくれるのは、知る人ぞ知る『歌う和菓子屋』こと西尾茶太郎さんです。それでは、ご覧ください。

【現在までに廃止された駅の位置図】
 ・昭和35年に廃止となった名鉄平坂支線の駅の位置はこちら。
 ・平成16年に廃止となった西尾市内の名鉄三河線の駅の位置はこちら。
 ・平成18年に廃止となった名鉄西尾線鎌谷駅と三河荻原駅及び
  昭和49年に現在の位置に移設された名鉄蒲郡線洲崎駅(現こどもの国駅)の移設前の位置はこちら。

 オープニング

「皆さんこんにちは。西尾茶太郎と申します。今日は、西尾市内の駅を紹介したいと思います。静止画をお見せしつつ、私がナレーションして進めてまいりますので、何とぞよろしくお願いします。あと、今、私はソファーに座って足を投げ出しておりますが、どうせ見えないので気になさらぬようお願いします。静止画の送りの操作をしてくれるのは、カッコいいけど腹黒い桜井さんです。邪魔しないでね。ちゃんとやってくれれば良いからね。よろしく頼むよ。そういえば、昨日、桜井さん、桜井のアピタに居ませんでしたか?昨日、たまたま私もアピタに行ったんですけど、そうしたら、桜井さんらしき人が可愛らしい女性と一緒に」

「ちょっ!ちょっと!まださっきの図の説明が終わってないんだから、次の図に変えないでよ。そんなミスをするなんて、桜井さんらしくないな。何?無駄話をするな?無駄話って言われても、何が無駄かは人によって違うからねぇ。とりあえず、早く説明して先に進めたいからさ、初めの図に戻してくれるかな。ほら、ご覧になってる皆さんが待ち望んでるよ。さ、戻して戻して。」

「あ、戻った。やればできるじゃん。では皆さん、この図をご覧ください。この図は現在の西尾市内にある駅を示しています。名鉄西尾線と蒲郡線で11駅あるんですね。2年前の平成23年4月に幡豆3町が西尾市となり、西尾市に蒲郡線も加わりました。うなぎの有名な一色町も加わりましたが、実はわたくし、和菓子屋を経営しておりまして、うちの店では抹茶鰻頭という饅頭が好評発売中です。『饅頭』ではなく鰻(うなぎ)頭と書くのですが、その心は」

「こら!宣伝するな!このままでは終わりそうもないので、ここからは私、桜井が進めさせていただきます。」
「ちょっ!約束が違うじゃないですか!僕に任せてくれるって言ったじゃない!」
「茶太郎さんは先に進ませる気がないじゃないですか。話が横にそれてばかりです。なので、私が進めます。こちらの図は西尾市が誕生した昭和28年の路線図です。現在の西尾市内の範囲になります。平坂支線と三河線が加わっているのが分かるかと思います。また、西尾線の駅も現在より増えてます。」
「そして、私が経営する和菓子屋の最寄り駅は」
「またそういうことを言う。茶太郎さん、少し黙っててもらえませんか?お願いします。ということで、えっと、今回は、この図に掲載の駅を紹介します。」

「こちらが、西尾市が誕生した昭和28年12月15日に、現在の西尾市内に存在する市町村です。これらの市町村が、現在西尾市になっているということですね。今回は、この市町村別に駅を確認していきたいと思います。順番は、西尾市になった市町村順ということにしまして、まずは、西尾市が誕生した当初から西尾市であった地域からご覧いただきましょう。」
 

 昭和28年12月の市制時に西尾市になった地域の駅
 (幡豆郡西尾町、平坂町の一部)

「昭和28年12年15日、幡豆郡西尾町が、平坂町大字田貫・中畑・国森・新在家と合併して西尾市になりました。『広報西尾』の第1号によると、市制の条件には『人口』と市街地に住む世帯である『連たん戸数』があり、市制施行の申請書を提出した昭和27年には西尾町は人口も連たん戸数も満足していたのですが、国から昭和25年の国勢調査による人口が満足していないといけないという見解を示されて、西尾町だけだと人口が足らなくなってしまいました。そこで、平坂町と合併することになったものの、平坂町全域と合併すると連たん戸数の割合が下回ってしまうために平坂町の一部と合併して西尾市になったようです。」

「そして西尾市の駅はこちらの4つです。旧平坂町の大字中畑は西尾市になりましたが、三河線の中畑駅は大字中畑ではなく大字平坂に位置しておりましたので平坂町の駅の紹介時に登場します。ということで、西尾市内の駅を西尾駅、西尾口駅、桜町前駅、住崎駅の順にご覧いただきましょう。住崎駅は名鉄平坂支線の駅で現在廃止されており、その他の駅は西尾線で現存しています。・・・茶太郎さん、急に黙ってしまいましたが、大丈夫ですか?」
「大丈夫も何も、黙れと言われたから黙ってただけですよ。いけませんか?」
「怒ってます?」
「ごめんなさい。反省してます。」
「あ、そう来ましたか。いやいや、こちらこそ失礼なことを言ってしまいまして、申し訳ありませんでした。」
「仕方ない。許してやる。」
「は?」
「それでは気を取り直して、まずは西尾駅からご覧ください!」
「何なんだ、君は。」

「西尾市の中心駅、西尾駅です。昭和28年当時、この駅からは安城方面、吉良方面、平坂方面の3方向に線路が延びていました。さらに前の昭和19年までは岡崎方面にも延びていましたが、昭和28年当時には、すでに休止となっています。」
「4方向に延びていた線路も徐々に寂しくなっていくんですね。岡崎方面が消え、平坂方面が消え、吉良方面が消え、」
「吉良方面はまだ健在ですって。そんなこと言うと、吉良町の方に叱られますよ。」
「吉良町の皆さん、ごめんなさい。」
「茶太郎さん、適当にコメントするのは止めてください。戦後から考えても西尾駅は変わりました。昔の西尾駅はホーム2つで4番線までありましたが、その後4両ホーム1つで2番線までとなり、平成元年には6両ホーム1つで2番線までの高架駅になりました。そして、平成20年には西尾-西尾口駅間が複線化されました。駅も時代とともに変わっていくものです。」
「昔は電圧も違ったんですよね。今は1500ブイですけど、昔は600ブイだったって聞いたことがあります。」
「えっと、Vはブイじゃなくてボルトと読みます。絶対、知ってて言ってますよね。西尾線は昭和35年に1500Vに昇圧されたのですが、そのときに平坂支線は廃止になってしまいました。」

「続いて西尾口駅です。昔はこの駅から岡崎方面に分かれて線路が延びていましたが、昭和19年に休止となり、昭和28年現在、すでに岡崎方面への線路はありません。」
「でも、線路は無くなっても、当時の人々の記憶や思い出はまだまだ健在ですね。」
「ま、まぁ、そうでしょうね。廃止されて9年なんで。今でいうと9年前は平成16年になるんですよね。平成16年4月に三河線の碧南-吉良吉田間が廃止されたので、今の私たちが思い浮かべる三河線碧南-吉良吉田間のイメージかもしれません。」
「え!?碧南と吉良吉田の間って、線路でつながってたの!?」
「え?知らなかったんですか?」
「知ってましたよ。言ってみたかっただけです。でも、そう言われると正直、9年って結構前のような気もします。時が経つとともに、人の記憶も薄れていくもんですねぇ。。」

「続いて桜町前駅です。」
「昔はこの駅から安城方面に線路が延びていましたが、昭和19年に」
「今もあります。勝手に廃線にしないでください。桜町前は昭和24年まで中学前という駅名でした。中学というのは、今の西尾高校のことです。」
「西尾高校の最寄り駅なんですよね。」
「そういうことです。今でも西尾高校の生徒さんが利用しています。」
「しかし、西尾高校って桜町前駅の目の前にあるから便利ですよね。見た目はAコープですけど。」
「それはAコープです。西尾高校は桜町前から道のりで800mほど離れています。800mと言ったら、西尾駅と西尾口駅くらいの距離があるんですよ。1駅分です。桜町前駅から西尾高校まで遠いと思うか、西尾-西尾口駅間が近いと思うか、ですけれども。」
「800m離れてて中学前という駅名が許されるんだったら、いっそのこと西尾口駅を西尾駅前駅にしてしまえばいいのに。」
「路面電車じゃないんだから、そんな他の駅に依存した駅名は嫌ですよ。西尾線の駅はとりあえずここまでです。次は平坂支線の住崎駅を紹介します。」

「ということで、こちらが平坂支線の住崎駅があった箇所の風景です。平坂支線は西尾駅と平坂町の港前駅を結んでいた路線で、昭和35年に廃止されました。住崎駅付近の平坂支線の今は、県道になっています。」
「桜井さん、この道路は県道じゃなくて、主要地方道って言うみたいですよ。主要地方道岡崎碧南線です。カッコいいけど腹黒い桜井さんでも間違えることはあるんだね。でも、まぁ、気にしないで。誰も笑ったりはしないからさ。ははははは。」
「主要地方道は県道ですよ、茶太郎さん。県道番号が1桁か2桁の県道を主要地方道というんです。岡崎碧南線の県道番号は43号ですから、主要地方道になります。」
「うんうん。君の名誉のために県道ということにしときましょう。」
「いや、ホントに。主要地方道は、県道です。ちなみに、番号が3桁の県道を一般県道と言います。」
「うんうん。そうしておきましょう。主要地方道は、県道です。」
「まぁ、信じないならそれでもいいです。さて、住崎駅があった場所ですが、昔の地図を見ますと住崎駅は『山下町南』の交差点と『住崎南』の交差点の間、一方通行の道との交差の東側に存在したようです。ということで、西尾市の駅は以上です。続いては、昭和29年8月に西尾市となった地域の駅を紹介します。」
 

 昭和29年8月に西尾市になった地域の駅
 (幡豆郡平坂町、寺津町、福地村、室場村)

「昭和29年8月10日に幡豆郡平坂町、寺津町、福地村、室場村が合併して西尾市になりました。西尾市が誕生した昭和28年に駅があったのは平坂町、寺津町、福地村です。」
「残りの平坂町もすぐに合併しましたね。8ヶ月しか差がない。」
「市制当初から1年以内に合併することが決まってたようです。もしかしたら寺津町など他の町村も含めて市制の基準である市街地にある戸数6割以上を考慮したテクニックかもしれません。」
「なるほど。まず市街地の少ない地域を排除しておいて市になり、その後で市街地の少ない地域も合併したということですよね。ということで、市制に邪魔だった市街地の少ないド田舎にある駅を見てみましょう。って言ってください。」
「今言ったのは茶太郎さんです。」

「まずは平坂町の駅です。平坂支線と三河線が通っていて、駅の数も多いですね。」
「いくつあるんでしょうね。1、2、3、4、5、6、7、8」
「6つです。6つありましたが、現在は路線廃止により駅はひとつもありません。先ほども言いましたが、中畑駅は中畑ではなく平坂に位置してるので、ここで紹介します。それでは平坂支線、三河線の順に見てみましょう。」

「西尾駅を出発して平坂支線を進み、先ほど紹介した住崎駅の次の駅、羽塚駅です。」
「電車が道路を走ってるんですね。」
「ですから、平坂支線は廃止されて、今は県道になっているんです。」
「これは主要地方道ですよ、桜井さん。」
「ですから、主要地方道は…まぁ、いいや。羽塚駅の場所は羽塚南交差点より東へ150mほど離れた場所になります。昭和19年に休止となりましたが、昭和27年に再開し、昭和35年の路線廃止まで存在していました。」

「羽塚駅の次の駅、平坂口です。平坂小学校から県道を南西に離れてすぐの信号交差点のところになります。」
「線路と交わっていた道路は平坂中学校へ向かう道だけど、この道は平坂口駅へ向かうための道でもあったんですね。」
「そういうことになりますね。道の役割も時代とともに変わっていくものなんですね。ちなみに、平坂口駅は大正3年に平坂駅として開業しましたが、昭和16年に平坂口駅と改称されました。同時に次の港前駅が平坂駅となりましたが、そちらは昭和24年に港前駅に戻っています。」
「結局、平坂駅がどっか行ってしまいましたね。」
「そうですね、消えてしまいました。」
「まぁ、今では路線ごと消えてしまったわけですが。」

「そして平坂支線の終点、港前駅です。現在、同じ名前のバス停があり、西尾駅経由で市民病院とを結ぶバスが運行されています。」
「ふれんどバスのバス停もあるんですよね。この前友達と一緒に乗りました。」
「そうですね。ふれんどバスは三河線の碧南-吉良吉田間の代替バスです。三河線の話題が出たということで、この流れにのって、続いて三河線の駅を見てみることにしましょう。」
「ですから、友達とふれんどバスに乗りました。友達と。」

「続いて三河線の中畑駅です。」
「友達と、ふれんどバスに乗りました。」
「良かったですね。さて中畑駅ですが、碧南方面から三河線に乗車し、矢作川を渡ると、平坂町に位置する中畑駅に到着します。」
「中畑駅なのに中畑じゃなくて平坂にあるのはなぜなんでしょうね。嫌がらせ?」
「中畑駅は中畑の集落に隣接していて、中畑の人にとって不便な場所というわけでもないと思います。中畑を通らなかった理由はよく分かりませんが。」
「つまり、結果的に嫌がらせになっただけということですね。」
「ですから、嫌がらせではないと思います。」
「でも、写真を見ると駐車場しかないですよ。パーク&ライドの、パークしかない。ライドできないパーク&ライドなんて、嫌がらせ以外の何物でもない。」
「ですから、中畑駅は廃止された路線の駅ですし、駐車場も隣接した企業の駐車場です。茶太郎さん、疲れます。」

「中畑駅の次は三河平坂駅です。先ほど紹介した平坂支線への乗り換え駅でした。平坂支線の平坂口駅との乗り換えで、距離は500mくらい離れていました。」
「500mというと、歩いて徒歩約およそ6、7分程度くらいですね。」
「言葉の重複が気になりますが、所要時間はそのくらいかと思います。」
「じゃあ、中学前駅から西尾高校までの800mより近いから、三河平坂駅は平坂口駅前駅にしておきましょう。」
「呼びづらくてたまらない駅名ですね。とりあえず、三河線を敷設した三河鉄道にもプライドがあるでしょうから、そんな駅名にはしませんよ。」

「三河平坂駅の次は三河楠駅です。」
「『三河』が続きましたね。」
「三河線はもともと三河鉄道でしたし、三河がつく駅名がいくつもあります。現存する三河線の駅でも、三河高浜とか、三河知立とか三河がつきますよね。」
「蒲郡線にも三河塩津とか三河三谷とかありますね。」
「茶太郎さんが言ったのは全てJRの駅ですけど、蒲郡線も、もともと三河鉄道ですからね。三河線と同じです。」
「JRだったか。じゃあ、三河豊田は蒲郡線?」
「愛環です。」
「三河蒲郡は?」
「そんな駅、無いです。」

「続いて寺津町の駅を紹介します。西尾市が誕生した昭和28年に寺津町にあった駅は、寺津駅のみです。ということで、現在の寺津駅の様子をご覧ください。」
「三河寺津駅。」

「三河寺津駅ではなく寺津駅です。三河線、三河楠駅の隣の駅になります。寺津町には寺津駅の他に北寺津駅があった時期もありますが、戦時中に休止となり、そのまま廃止されました。」
「戦争で、なぜ駅が休止になるんですか?」
「戦争によってガソリン統制でバスが動けなくなるなどして鉄道の乗客が増加した上に車両不足等に陥り、輸送力不足になったことから停車する駅を減らしたのが理由のようです。」
「つまり、北寺津駅の乗客は電車に乗るなということですか。」
「まぁ、そういうことになるのかもしれません。」
「冷たいですねぇ。どこかの桜井さんみたいだ。」
「どこの?」

「寺津町は1駅だけということで、写真1枚では寂しいので廃止前の駅の様子もご覧いただきましょう。」
「これが、廃止前の寺津駅ですね。列車は1両しかない。せっかくのホームがもったいない。」
「廃止間近の平成15年7月に撮影したものですが、1時間に1往復、ご覧のようなレールバスが運行されていました。」

「続いて福地村の駅を紹介します。福地村を通る路線は西尾線で、駅は福地駅と鎌谷駅の2駅です。鎌谷駅については平成18年12月に廃止され、現在はありません。」
「鎌谷駅は何をやらかしたんですか?」
「懲戒免職された人みたいに聞かないでください。廃止の理由は乗客数の低迷です。後で鎌谷駅を紹介しますので、その時に。」
「横領?」
「違います。」

「ということで、福地駅です。西尾駅から西尾線を南下して次の駅になります。開業当時は一色口という駅名でしたが、昭和24年に福地駅になりました。」
「もともと一色町に行くための駅だったってことですか。」
「そうですね。地図を見るとわざわざ遠回りして福地駅を通過しています。一色町へ近づけた経路を計画した結果でしょうね。」

「続いて今は亡き鎌谷駅です。」
「横領、良くない。」
「だから違いますって。平成18年に廃止となりましたが、当時の名鉄はトランパスを各駅に導入するために自動改札機などの設備の設置を進めてまして、費用削減のために利用者の少ない駅を廃止してしまいました。」
「安城市の堀内公園の駅も対象でしたよね。」
「茶太郎さん、よくご存じで。堀内公園駅も利用者が少なかったのですが、安城市がお金を出して、存続が決まりました。」
「結局、金か。」
「以上が昭和29年8月に西尾市になった地域の駅でした。続きまして、昭和30年1月に西尾市になった地域を紹介します。」
 

 昭和30年1月に西尾市になった地域の駅
 (幡豆郡三和村)

「昭和30年1月1日、幡豆郡三和村が西尾市になりました。この地域に駅はありません。昭和19年までは西尾と岡崎とを結ぶ西尾鉄道が走ってたんですけどね」
「確か、戦時中にレールを転用するために盗られたんでしたよね。」
「そうですね。取られてしまいました。」
「盗るなんて犯罪だ!」
「取っても犯罪にはならないと思いますが、乗客に対して不便を強いる結果となりましたね。さて、続いては昭和30年4月に西尾市になった地域の駅を紹介します。」
 

 昭和30年4月に西尾市になった地域の駅
 (碧海郡明治村の一部)

「三和村の合併から3ヶ月後の昭和30年4月1日に碧海郡明治村の一部、大字米津と大字南中根が西尾市になりました。」
「幡豆郡ではなく碧海郡なんですね。唯一ですよね。」
「そうですね。西尾市になった地域で唯一の碧海郡です。矢作川より北側になります。」
「幡豆郡にくっついて、へ~きかい?」
「へ~きなはず。」
「うわ!返された。」

「そして、この地域には西尾線の米津駅があります。それでは、現在の米津駅を見てみましょう。」
「碧海郡をとくとご覧あれ!」

「こちらが米津駅です。大正15年に現在の新安城駅である今村駅とを結ぶ碧海電気鉄道の終着駅として開業しました。昭和3年に西尾駅とつながり、現在は西尾線の急行停車駅として存在しています。」
「駅舎の屋根のあたりに碧海郡の名残がありますね。」
「どういうことですか?よくわからないのですが。」
「いや、こう、何となく碧海郡の香りが。」
「この駅舎は平成19年にできたんで、碧海郡の香りはしないと思いますけどね。さて、明治村は米津駅のみです。写真が1枚なのは寂しいので、もう1枚見ていただきましょう。平成18年に撮影した昔の駅舎の写真です。」
「それは楽しみですねぇ。」

「こちらが平成18年5月に撮影した米津駅の旧駅舎です。」
「ほう!これは素晴らしい!これぞまさに碧海郡!光輝く明治村の、栄光と歴史が調和した見事なハーモニー!匠の技が米津の風土に浸透し、その作品から放たれる重厚で深い趣きに、私の心は優しく包まれてしまいました。」
「何一つ心に響かないのは、意味が全く解らないからでしょうね。」
「そうですね。私も解りません。」
「明治村は以上です。次は吉良、幡豆、一色の幡豆3町を紹介します。」
「ついに平成の大合併か。」
 

 平成23年4月に西尾市になった地域の駅
 (幡豆郡吉田町、横須賀村、
 幡豆郡一色町、佐久島村、幡豆町)

「平成23年4月1日、吉良町、一色町、幡豆町が西尾市となり、現在の西尾市となりました。」
「幡豆郡が消滅。西尾が幡豆郡を征した日ですね。」
「吉良町は西尾市が誕生した昭和28年当時は吉田町と横須賀村に分かれており、昭和30年に合併して吉良町になりました。一色町は昭和29年に佐久島村と合併しています。幡豆町は昭和28年当時から西尾市になるまで合併はありません。それでは、西尾市が誕生した昭和28年、幡豆3町にあった駅を順に見ていきましょう。」
「おめでとう西尾!幡豆郡天下統一!」

「まずは吉良町から。西尾市が誕生した昭和28年の吉良町は、横須賀村と吉田町に別れていました。そして昭和30年3月10日に合併して吉良町に。さらに平成23年4月1日に西尾市となりました。ということで、横須賀村、吉田町、それぞれの駅を確認していきましょう。」
「吉良殿!殿中でござる!殿中でござる!」
「はい?」
「言ってみたかっただけです。」
「『浅野殿!』じゃないですかね。刀を抜いてはいけない殿中で吉良上野介を襲おうとする浅野内匠頭を制す場面ですから。」
「・・・言わなきゃ良かった。」

「横須賀村には西尾線の上横須賀駅と三河荻原駅が、吉田町には西尾線と三河線と蒲郡線とが接続する三河吉田駅がありました。三河荻原駅は平成18年に廃止となっています。そして三河吉田駅は昭和35年に駅名が変わり、吉良吉田駅になりました。」
「『三河』に厳しい土地柄ですな。」
「土地柄がどうかは疑問ですが、三河が付く駅名は、吉良町から姿を消しましたね。それでは、上横須賀駅、三河荻原駅、三河吉田駅の順にご覧いただきましょう。」
「まずは三河横須賀駅からどうぞ。」

「三河横須賀じゃなくて上横須賀駅です。福地村で紹介した西尾線・鎌谷駅の次の駅となります。」
「上横須賀の次の駅は三河荻原駅です。上横須賀駅と同じく横須賀村の駅となります。三河荻原駅は平成18年に廃止され、現在はホームなども取り壊されて更地の状態となっています。吉良町役場、現在の西尾市役所吉良支所の最寄り駅だったのですが、乗客が少なかったために廃止されてしまいました。残念ですね。」
「三河荻原駅の話をしてどうするんですか。上横須賀駅の話をしてください。」
「いやいや、ここに三河荻原駅の資料があったから言いたくなって言っただけです。それにしても、よく調べてあるじゃないですか。伝えてない情報も多いですね。せっかく調べたのに、もったいないからもっと言えばいいのに。たくさん話してる割には内容が薄っぺらいですよ。」
「茶太郎さんが横道にそれた話ばかり言うからです。」
「そんなことはないでしょう。それで、上横須賀駅は乗客が多いんですか?」
「え?乗客数ですか。昔は吉良高校の最寄り駅だったのですが、高校が移転した昭和60年を境に激減しました。今の乗客数は、西尾線で言うと、米津駅より少なく、碧海古井駅より多いくらいです。」
「羽島線で言うと?」
「いや、岐阜県の駅は、正直、調べてないので、その・・・。」
「急に歯切れが悪くなったね。」

「気を取り直して、上横須賀駅の次は三河荻原駅です。上横須賀駅と同じく横須賀村の駅となります。」
「それ、さっき言いましたよ。」
「茶太郎さんが上横須賀駅の紹介の時に言うからでしょ。」
「そんなのにめげずに言ってくださいよ。ブラスアルファの情報をどうぞ。」
「まぁ、乗客が少ないという話がありましたが、昔はそうでもなく、例えば昭和45年の時刻表を見ると、三河荻原駅は準急停車駅で、平日に1本とはいえ特急の特別停車もありました。その頃からは考えられないでしょうね、駅が廃止されるなんて。」
「普通に話しやがった。面白くないヤツ。」

「次は吉田町の三河吉田駅です。西尾線、三河線、蒲郡線が集まる駅です。昭和35年からは吉良吉田駅に駅名が変わりました。」
「吉良吉田に駅名が変わって、西尾市になった今でも吉良町と吉田町の名を示す駅があるってのは、地元にとって嬉しいことかもしれないですね。しかも、列車の行先として名古屋でも名前を知らしめてる。」
「三河吉田駅はもともと三河鉄道の駅で、西尾鉄道の吉良吉田駅が200mほど北に離れた位置にありました。昭和18年に西尾線の路線を延長して三河吉田駅に乗り入れ、その後、駅名が吉良吉田になったということで、場所は三河鉄道、駅名は西尾鉄道になったんですね。」

「吉田町も1駅なので別の写真を用意しました。こちらは平成15年12月に撮影した三河線ホームです。碧南行きが停車中です。」
「たとえ1両でも、住民にとっては重要な足ですからね。是非とも末永く存続して欲しいものです。」
「残念ながら、三河線は既に廃止されてます。現在このホームは蒲郡線の列車が使用していますね。」
「残念ながら、実は知ってます。いやはや、廃止された路線のホームを使うなんて、縁起が悪い。」
「そんなこと思うのは茶太郎さんだけですって。」

「続いて一色町です。西尾市が誕生した昭和28年は一色町と佐久島村があり、昭和29年に佐久島村が合併して一色町になりました。佐久島村には駅がないので、一色町の駅を紹介します。」
「一色町と言えば、うなぎですよね。実は私の店で抹茶鰻頭という饅頭を販売しておりまして、饅頭ではなく鰻(うなぎ)頭と書くんですけれども、その心は」
「また言うか!ホント、諦めの悪い。」
「『その心は』って言うまで必ず待ってくれる桜井さんが大好きです。」

「一色町にはご覧のとおり三河線の3つの駅がありましたが、現在は路線ごと廃止されております。」
「一色、二色、三色。ホントだ。駅が3つある。」
「どんな数え方をしてるんですか。それでは、西にある駅から、西一色、三河一色、松木島の順に紹介しますのでご覧ください。」
「西に西一色 西に西一色 西に西ししき。」
「ひとりで何してるんですか?茶太郎さん。」

「まずは西一色駅です。寺津町で紹介した寺津駅から吉良吉田方面に進んで次の駅です。」
「西に西一色 西に西一色 西に西一色!よし!言えた!」
「満足そうな顔してますね。そんなに難しいとは思えませんが。」
「難しいですよ。じゃあ、桜井さんは言えますか?」
「西に西一色 西に西一色 西に西一色。普通に言えますよ。」
「さすが桜井さん!じゃあ、『和菓子なら茶太郎の店』って3回続けて言えますか?」
「最上級のレベルで私には無理です。」

「続いて三河一色駅です。」
「さっきの西一色駅、情報が何もなかったけど、大丈夫ですか?」
「気になるんだったら無駄なことを話さないでもらいたいんですけどね・・・。西一色駅は一色高校の最寄り駅でしたよね。高校生にとっても三河線廃止は残念だったかと思います。」
「そうですね。高校生にとってはホントに重要な足でしたからね。鉄道がなくなると、自転車しかない。そっか自転車があるのか。じゃあ良いじゃん。こげ!高校生!自転車こげ!」
「なんて乱暴な…そして、三河一色駅は一色町の中心駅でした。」
「三河線とはいえ、それなりに乗客が居たんですかね。」
「三河線が廃止された平成15年度の乗客数は61,189人で、廃止された碧南-吉良吉田間の駅の中では西一色駅の次に乗客数の多い駅でした。今で言うと西尾口駅より少し多い乗客数になります。」
「今存在している西尾口駅より多いんだったら、廃止にするのは忍びないですね。例え三河線が廃止になっても、三河一色駅だけは存続させておくべきでしたね。」
「茶太郎さん、それは間違ってます。」
「どこが?・・・あ、そっか。西一色駅も存続すべきだったと思います。」

「次の駅は松木島駅です。」
「すいません。松木島駅も存続でお願いします。」
「じゃあ、結局のところ、三河線復活すべきということで良いですか。」
「いや、蒲郡線も復活してもらわないと。代替バスも走ってないんだから。」
「廃止されてないのに代替バスは走りませんよ。でも、蒲郡線には乗客数の復活という意味で復活してもらいたいですね。松木島駅を過ぎると矢作古川を渡り、次の駅は吉良吉田、昭和28年当時の三河吉田駅です。そしてその先は蒲郡線になります。ということで、蒲郡線に進みましょう。」

「それでは蒲郡線が走る幡豆町の駅を紹介します。幡豆町は西尾市が誕生した昭和28年以前から西尾市と合併する平成23年まで市町村合併の動きはありません。」
「長い間、ずっと変わらず幡豆郡幡豆町大字東幡豆だったんですね。」
「大字は東幡豆だけじゃないですけどね。」
「住所を書くのが大変そう。幡豆郡幡豆町大字東幡豆。何回も書くと省略したくなりますよね。幡豆郡〃町大字東〃って。それが今では西尾市東幡豆町。ったく、楽をしやがって。」
「茶太郎さんは何様目線でモノを言ってるんですかね。」

「幡豆町の駅は、この4つになります。」
「三河鳥羽、西幡豆、東幡豆、洲崎。洲崎駅は聞いたことがないんですけど、私が物心つく前に廃止されたんですか?」
「戦時中から戦後にかけて休止された期間もありますが、実は今でも存在します。場所が変わって駅名も変わってますが。」
「場所も駅名も変わったら、それは別の駅でしょ。そんなこと言われたら、『三河一色駅は今、中部国際空港駅として存在します』って言いたくなる。」
「すいません。私の説明不足です。洲崎駅の紹介時に説明しますね。では、三河鳥羽駅からご覧ください。」

「吉良吉田駅の次の駅、三河鳥羽駅です。両側にホームがある相対式ホームは蒲郡線では珍しく、他には形原駅しかありません。蒲郡線は三河線と同じく、もともと三河鉄道だったのですが、三河鉄道は真ん中にホームがある島式を採用する傾向があったようですね。」
「西尾線のすれ違える駅は両側にホームがある駅が多いですね。島式とかいうホームは…西尾駅だけか。ホームを見ても、路線によって、特徴があるもんですね。」

「続いて西幡豆駅です。」
「その次は東幡豆駅ですよね。西幡豆駅と東幡豆駅って、どちらが上なんですか?」
「上というのは、乗客数が多いってことですかね。乗客数は西幡豆駅のほうが上です。」
「いや、駅の標高。」
「高さの話ですか。国土地理院のサイトで確認すると、西幡豆駅が標高14.2メートルで東幡豆駅が標高6.9メートルなので、西幡豆駅のほうが上です。」
「標高まで調べてあるとは。やるねぇ。驚いたよ。」

「続いて東幡豆駅です。」
「さっきは西幡豆駅でしたよね。西幡豆駅と東幡豆駅って、どちらが先なんですか?」
「先というのは開業が早いってことですかね。開業日は西幡豆駅も東幡豆駅も同じで昭和11年7月24日です。」
「いや、五十音順です。」
「だったら西幡豆です。」
「五十音順まで調べてあるとは。やるねぇ。驚いたよ。」
「調べなくてもわかりますって。」

「最後の駅となりました。洲崎駅です。昭和19年に休止となりましたが昭和27年に移転して復活。こどもの国の開園のために昭和49年に現在のこどもの国駅がある位置に移転し、昭和51年に駅名がこどもの国に変わりました。」
「なるほど。今のこどもの国駅の位置で洲崎駅だった期間があるんですね。『場所も駅名も違うけど、まだ存在している』っていう意味がわかりました。それで、こどもの国駅の廃止はいつなんですか?」
「何てことを言うんですか。」
「でも、乗客は少ないように思うんですけど。」
「確かに、全西あ計画ってサイトに愛知県内の名鉄の駅の乗客数ランキングがあって、それによると、こどもの国駅は最下位です。」
「最下位ですか。それはひどい。全西あ計画ってサイトの管理者に一言文句を言ってやらんといかんね!」
「いやいや、文句を言ったところで、ランキングは変わりませんから止めときましょう。こどもの国駅も、今後乗客数が増えると良いですね。」
 

 エンディング

「ということで、今回は現在の西尾市内にある、西尾市が誕生した昭和28年に存在した駅を紹介しました。写真は移転した後の洲崎駅である、こどもの国駅です。さて茶太郎さん。今回紹介した駅は全部で24駅ありましたが、印象に残った駅はありましたか?」
「そうですね。洲崎駅が一番印象に残ってますね。今後、こどもの国駅の乗客が増えてほしいと思います。あと、東幡豆駅とかも印象に残ってます。」
「なるほど。最初の方は既に記憶から消されてるようです。たくさんの駅がありましたからね。茶太郎さん、長時間お付き合い頂きましてありがとうございました。」
「いえいえ、桜井さんもお疲れさまでした。また、うちの店にでもお越しください。美味しい饅頭をごちそうしますので。うちのイチオシは抹茶鰻頭です。饅頭ではなく鰻(うなぎ)頭と書いてまんじゅうと読むんですが、その心は」
「お別れの時間となりました。皆さん、またお会いしましょう。さようなら~。」

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