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昭和53年度の西尾・蒲郡線の駅の乗客数とその後の推移
(12年9月14日更新)
 西尾・蒲郡線の西尾‐蒲郡駅間は廃線の危機に立たされています。理由は乗客が少ないからなのですが、乗客が多かった頃はどのくらいの乗客数があったのでしょうか。そして、その後どのように減少していったのでしょうか。今回の『これが、西尾線。』は、蒲郡駅から福地駅の昭和53年度の乗客数を確認し、その後乗客が減っていく状況をグラフで追ってみることにします。昭和53年度を採用した理由は、データソースである愛知県統計年鑑に掲載されているのが昭和53年度以降のデータで、その中で最大の乗客数となる年度が昭和53年度だったから。・・・ってことは、何かい。もっと前はもっと乗客が多かったんじゃないの?と想像できますが、まぁ、昭和53年度にさせていただきます。それではご覧ください。

 今回は、西尾・蒲郡線の乗客数の推移です。

 左のグラフは、西尾‐蒲郡駅間の各駅(西尾駅を除く)の乗客数を合計した値の推移です。昭和53年度を100とした割合で示しています。グラフから順調に減少しているのが分かるかと思います。平成21年度には昭和53年度の46パーセントにまで落ち込みました。

 先ほどのグラフに、名鉄名古屋駅と西尾駅のグラフを追加しました。名古屋駅も西尾駅も減少傾向です。その理由はバブル崩壊以降の不景気や少子化に伴う通学客の減少などに加え、名古屋駅では国鉄民営化や金山駅開業、西尾駅では国道23号の整備などが考えられます。しかし、西尾-蒲郡駅間と異なり減少傾向となったのは平成に入ってからで、昭和の時代は横ばいで推移しているのが分かります。

 ということで、今回は西尾-蒲郡間の各駅の乗客数の推移を見ていきたいと思います。左は蒲郡駅の推移です。先ほどの西尾-蒲郡駅間と同様の傾向を示しています。昭和の頃から減少し続けているのが蒲郡線の特徴のようですが、昭和の時代は観光客減少、平成の時代は加えて国鉄民営化や景気後退が影響していると想像できます。

 愛知県の名鉄の駅の平成21年度の乗客数ランキングで蒲郡駅は第129位でした。昭和53年度の乗客数があれば、巽ヶ丘駅(河和線)に次いで第53位だったのに。

 ということで、こんな感じで各駅の乗客数の推移を見ていきます。西尾駅に向かって各駅の状況を紹介しますので確認してください。蒲郡駅の次は蒲郡競艇場前駅です。
 

 蒲郡競艇場前駅と三河鹿島駅。

 蒲郡競艇場前駅は蒲郡駅とは異なり乗客数は上がったり下がったり。蒲郡競艇の入場者数に関係するのでしょうか。ということで、蒲郡競艇の入場者数も駅の乗客数と同様にグラフ化しました。データソースは蒲郡競艇概要書(蒲郡市競艇事業部)です。グラフの形、似てますね。その名のとおり蒲郡競艇と共に生きる駅のようです。また、昭和63年に、当駅に隣接するJRの三河塩津駅が開業しました。乗り換え客が増えたのか、平成の初め頃の増加は蒲郡競艇の利用者よりも大きくなっています。

 三河鹿島駅は昭和の時代に乗客数が大きく増加しています。昭和63年度には昭和53年度の2.5倍を超えました。それ以降は増加減少を繰り返していますが、平成16年度からの増加の要因が気になるところです

 さて、西尾-蒲郡駅間合計の乗客数とは異なる推移をたどった蒲郡競艇場前駅と三河鹿島駅。愛知県の名鉄の駅の平成21年度の乗客数ランキングで蒲郡競艇場前駅は第235位ですが、昭和53年度の乗客数があれば、蒲郡競艇場前駅は坂部駅(河和線)に次いで第214位までアップします。三河鹿島駅は平成21年度のランキングで第224位ですが、昭和53年度の乗客数しかなかった場合、三河鹿島駅は蒲郡競艇場前駅に次いで第236位までダウンします。

 さて、引き続き西尾方面に向かいます。形原駅、西浦駅、こどもの国駅と、かつて観光客が多かったであろう3駅の登場です。乗客数はどのように推移するのでしょうか。
 

 形原駅、西浦駅、こどもの国駅。

 形原といえば、形原温泉。

 形原駅の昭和53年度以降の乗客数は大きく右肩下がり。平成10年くらいまで減少傾向が続き、平成21年度の乗客数は昭和53年度の31パーセントまで落ち込みました。

 西浦といえば、西浦温泉。

 西浦駅の昭和53年度以降の乗客数は西尾‐蒲郡駅間合計と同様に右肩下がり。平成21年度の乗客数は昭和53年度の40パーセントまで落ち込みました。

 形原駅、西浦駅の平成21年度のランキングは、形原駅が第197位、西浦駅が第192位でした。昭和53年度の乗客数があれば、形原駅が桜駅(名古屋本線)に次いで第125位、西浦駅が二子駅(尾西線)に次いで第142位までランクアップしていたのですが…って、桜駅や二子駅と同じくらいと言われても、乗客が多いのかどうかよく分からないのが正直なところ。

 さて、こどもの国といえば、こどもの国。

 こどもの国駅の昭和53年度以降の乗客数も形原駅と同様に大きく右肩下がり。平成21年度の乗客数は昭和53年度の26パーセントまで落ち込みました。そして、愛知県の名鉄の駅の中で最も乗客数の少ない駅となってしまいました(第236位)。昭和53年度の乗客数があれば、西幡豆駅に次いで第216位だったのに。なんだ、所詮、今の西幡豆駅と同じくらいか。

 さて、こどもの国駅からは西尾市になりました。次は東幡豆駅、西幡豆駅、三河鳥羽駅、吉良吉田駅と続きます。
 

 東幡豆駅から吉良吉田駅。

 東幡豆駅の乗客数推移は左のとおり、大きく右肩下がりの推移をたどっています。東幡豆駅の平成21年度の乗客数ランキングは第222位でしたが、昭和53年度の乗客数があれば、富貴駅(河和線)に次いで第164位になります。でも、結構ローカルな雰囲気をかもし出してます、今の富貴駅。

 西幡豆駅の乗客数推移は左のとおりです。西幡豆駅も東幡豆駅と同様に大きく右肩下がりの推移をたどっています。西幡豆駅の平成21年度の乗客数ランキングは第216位でしたが、昭和53年度の乗客数があれば、黒田駅(名古屋本線)に次いで第161位になります。だから何?って感じですが。

 三河鳥羽駅の乗客数推移は左のとおりです。三河鳥羽駅は他の駅とは傾向が違い、昭和の時代は増加傾向でした。平成に入ると減少傾向に転じてしまったのが残念です。三河鳥羽駅の平成21年度の乗客数ランキングは第234位でしたが、昭和53年度の乗客数があれば、新川橋駅(名古屋本線)に次いで第221位でした。だから何。

 そして吉良吉田駅の乗客数推移は左のとおりです。西尾-蒲郡駅間とは異なり、増加している時期もあり、概ね横ばいの傾向です。吉良吉田駅の平成21年度の乗客数ランキングは第137位でしたが、昭和53年度の乗客数があれば、味岡駅(小牧線)に次いで第116位になります。多いのか少ないのか、よくわかりませんが。
 

 蒲郡線と西尾線に分けてみる。

 さて、西尾線と蒲郡線との接続駅である吉良吉田駅まで到達しました。ここまでに西尾-蒲郡駅間の乗客数推移を紹介しましたが、西尾線と蒲郡線に分けると、推移はどうなるのでしょうか。ということで確認してみましょう。まずは蒲郡線。左は吉良吉田‐蒲郡駅間(吉良吉田駅を除く)の乗客数の推移です。西尾‐蒲郡駅間をを多少下回っています。

 そして西尾線。西尾-吉良吉田駅間(西尾駅を除き、廃止された三河荻原駅と鎌谷駅を含む)の乗客数の推移です。西尾‐蒲郡駅間より多少上回る傾向がみられました。西尾線と蒲郡線、西尾線のほうが乗客は減少してないことが分かりましたが、思ったよりも大きな差は無いように見受けられます。

 さて、続いて西尾線の各駅の乗客数推移を見てみましょう。廃止された駅も含めて、三河荻原駅、上横須賀駅、鎌谷駅、福地駅の推移をご覧ください。
 

 三河荻原駅から福地駅。

 平成18年に廃止された三河荻原駅の乗客数推移は左のとおりです。西尾‐蒲郡駅間各駅合計と異なり、昭和の時代と廃止直前は増加傾向だったことが分かります。

 上横須賀駅の乗客数は昭和の時代にガクンと下がり、その後は横ばいの傾向がみられます。平成21年度の乗客数は昭和53年度の36パーセントまで減少しました。上横須賀駅の平成21年度の乗客数ランキングは第185位でしたが、昭和53年度の乗客数があれば、尼ヶ坂(瀬戸線)駅に次いで第116位になります。

 鎌谷駅の乗客数推移は左のとおりです。単純な減少傾向ではなく、増加減少を経て廃止へと向かっていったことがわかります。

 福地駅の乗客数推移は左のとおりです。鎌谷駅の廃止などにより、最近元気な福地駅です。福地駅の平成21年度の乗客数ランキングは第206位でしたが、昭和53年度の乗客数しかない場合、三河鳥羽駅次いで第235位になってしまいます。
 

 西尾駅に到着しました。

 ということで、今回は西尾-蒲郡駅間の昭和53年度の乗客数と、それ以降の推移を紹介しました。

 参考に西尾駅より北、安城方面の駅の状況も紹介しておきます。左図は西尾口駅、桜町前駅、米津駅、桜井駅の乗客数推移です。桜町前駅と西尾口駅の増加具合に惚れてしまいそうです。

 続いて堀内公園駅、碧海古井駅南安城駅、北安城駅の乗客数推移です。こちらは堀内公園駅の増加具合に惚れてしまいそうです。

 と、まぁ、昭和53年度を100として、割合を用いて各駅の乗客数の推移を紹介してきたわけですが、西尾‐蒲郡駅間の各駅の乗客数の推移を実数でみると左図のとおりになります。グレーの線は、当該区間のいずれかの駅の推移です。図に西尾駅を含めただけで、他の駅が所詮微々たる変化に見えます。

 もともとそんなに乗客数が多いわけではない西尾‐蒲郡駅間が路線として存在できたのは、観光客などが名古屋方面から全線名鉄で長距離区間を乗車してたのが大きいのかなと思います。もちろん、地元が積極的に利用することも大切ですが、何とか名古屋以遠から全線名鉄で蒲郡線に来たくなるような施策があればなぁ、とか思う今日この頃です。

 でも、名古屋から西尾線経由で蒲郡線へ向かう客を増やすのは難しいですよね。JR経由と比べて所要時間が違いすぎます。観光地としての復活があったうえで、電車自体に魅力を持たせるとか、乗り換え改札口を利用した人に限り運賃を格安にするとか・・・まぁ、たわごとです。

 地元に対してはローカル線のイメージを払拭させるために、きれいで機能的な駅ビルを作るような感じで、廃止になっても活用できる津波対策となる避難所、備蓄倉庫を設置するとともに、店舗を揃えて、地元の方に普段から駅に向かうような生活をしてもらうとか・・・まぁ、たわごとです。

 とりあえず、どうしましょうか。うーん。。そうだ、今から蒲郡線に乗ろう。

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