このサイト(全・西・あ計画)のTOP PAGEに戻る 西尾線のHOMEに戻る
これが、西尾線。のHOME
 このページ 

鎌谷駅&三河荻原駅・最期の日
 (06年12月16日更新)

 西尾線の鎌谷駅と三河荻原駅が平成18年12月15日の営業をもって廃止されました。名鉄では全線各駅にSFカードシステムの導入などのため整備費用を投入していますが、この2駅は乗客が少なく、投資効果が期待できないことが要因のようです。
 今回は、最終日の2駅の様子を中心に紹介します。夜間の撮影も多く、フラッシュなしで適当に撮影したため、ぶれてる画像が多くなってしまいました。とはいえ、画像の質は基本的に「まぁ、いいや。」の精神でやってますので是非ともご了承ください。


平成18年12月15日の上横須賀駅。

 西尾線・上横須賀駅の駅名板です。撮影日は平成18年12月15日。隣の駅名は三河荻原駅と鎌谷駅になっています。

平成18年12月16日の上横須賀駅。

 続いて翌日平成18年12月16日の上横須賀駅の駅名板です。隣の駅名は吉良吉田駅と福地駅に変わりました。鎌谷駅と三河荻原駅がこの日廃止されたということで、今回の「これが、西尾線。」では最終営業日である平成18年12月15日の両駅を紹介したいと思います。

 
平成18年12月15日5時20分 鎌谷駅

 というわけで、おはようございます。最終営業日、平成18年12月15日の鎌谷駅です。時刻は5時20分。暗いですね。以前7月にも同じような時刻に撮影していますが、比較にならないほどの暗さです。本当に鎌谷駅なのか疑ってしまうような画像だとは思いますが、でも正直、本当に鎌谷駅かどうかなんて、大した問題ではないと思うんです。(本当に鎌谷駅です。)

平成18年12月15日5時33分 三河荻原駅

 続いて平成18年12月15日の三河荻原駅です。時刻は5時33分。暗いですね。暗いときに撮影した画像だったら、別に早朝じゃなくても、夜に撮影して「早朝だ」と言えば済む話です。誰も気付かないだろうし、気付いたとしても、本当に早朝に撮影したかどうかなんて、大した問題ではないと思うんです。(本当に当日の早朝5時33分です。)

平成18年12月15日5時42分 三河荻原駅

 三河荻原駅に始発列車の普通新安城行きが到着しました。最終日の三河荻原駅の始まりです。

平成18年12月15日6時25分 鎌谷駅

 鎌谷駅に吉良吉田方面の始発列車・普通蒲郡行きが到着しました。4両編成で、西尾線では珍しいSR車です。今日は最終営業日。残念ですが、翌日、この電車は鎌谷駅に止まりません。なぜなら次の日は休日ダイヤで、SR車は西尾線で使用されないからです。

平成18年12月15日7時00分 鎌谷駅

 時刻は7時になりました。鎌谷駅は朝のラッシュ時間帯になりました。ここで、鎌谷駅の歴史を紹介します。鎌谷駅は大正4年3月、横須賀口駅として開業しました。しかし、同年8月に廃止。しかし、昭和3年、鎌谷駅として開業。しかし、昭和19年に廃止。しかし、昭和27年に再開。そして、平成18年12月16日に廃止されました。しかし!・・・いや、別に、何も。

平成18年12月15日7時23分 三河荻原駅

 7時23分になりました。続いて朝のラッシュ時間帯に入った三河荻原駅です。ここで、三河荻原駅の歴史を紹介します。萩原駅は明治32年、荻原駅は大正5年に、萩原駅は尾西鉄道、荻原駅は西尾鉄道の駅として開業しました。大正末期にそれぞれ名鉄や愛電に買収・合併され、尾西線の萩原駅、西尾線の荻原駅となりました。同時期に荻原駅は三河荻原駅に改称されたため、西尾線の荻原駅の時期があったかどうかは定かではありませんが、尾西線の尾張萩原駅が存在しないことは確かです。

 
平成18年4月 新聞発表

 ここで、廃止までの経緯を簡単に説明します。平成18年4月。名鉄が鎌谷・三河荻原・碧海堀内の3駅を廃止する方針であると新聞記事で報道されました。そのニュースは局地的に絶大なるインパクトを与え、インターネットの掲示板やブログでは局地的にその話題で持ちきりとなりました。そして、その中の一部には、「全西あ計画」というくだらないサイトに掲載された「愛知県の名鉄の駅の平成15年度の乗客数の中の西尾線の駅。」というページへのリンクが貼られました。

鎌谷駅・三河荻原駅の乗客数推移

 名鉄は廃止対象の条件として、「1日の乗降客数が300人以下」の駅を廃止するという具体的な数字を提示しました。これに該当する西尾線の駅は4駅あります。碧海堀内駅、西尾口駅、三河荻原駅、そして鎌谷駅です。しかし、「市街地に位置していない駅」という条件もあり、西尾口駅は対象外となりました。また、「SFカードシステム等の導入にかかるコスト」が廃止の要因であることから読み取れる「何だったら、金をくれ。」という条件もあり、後に碧海堀内駅も廃止対象外となりました。

平成18年7月 廃止申請提出

 そして平成18年7月5日。名鉄は中部運輸局に廃止の申請を提出しました。ちなみに、「申請」ということは、中部運輸局が認可しなければ廃止は免れることを意味します。中部運輸局で審査を担当してる方なら、『参考資料として、過去10年間の1日乗降客数を、全ての日を対象にして提出してください。』とか『当該駅の乗客数を伸ばすために行った施策を10個列記してください。』とか『代替施設として、同じ位置に新しい駅を作ってください。』など、嫌がらせはいくらでもできるはずです。頑張れ!中部運輸局!!

平成18年10月 廃止の認可

 申請は認可されました。

廃止が決定した両駅

 というわけで、鎌谷駅と三河荻原駅は、平成18年12月15日をもって廃止されることが確定されたわけです。

 それでは、最終日の鎌谷駅と三河荻原駅の様子の続きをご覧ください。

 
平成18年12月15日15時21分 鎌谷駅

 そんなこんなで午後になりました。時刻は15:21。写真は普通蒲郡行きです。

平成18年12月15日16時11分 三河荻原駅

 写真は普通西尾行きです。

平成18年12月15日17時17分 鎌谷駅

 日が暮れてきました。写真は普通西尾行きです。

平成18年12月15日21時17分 鎌谷駅

 夜になりました。最期が近づいてきました。写真は普通西尾行きです。

平成18年12月15日22時41分 三河荻原駅

 写真は普通蒲郡行きです。吉良吉田より先へ行く、蒲郡行きの最終列車です。

平成18年12月15日22時50分 三河荻原駅

 写真は普通西尾行きです。西尾方面の最終列車です。

平成18年12月15日23時34分発 鎌谷駅

 そして、最終列車の普通吉良吉田行きの到着です。本当の最終列車。

平成18年12月15日23時34分発 鎌谷駅

 2,3分遅れて(到着も遅れてましたが)、吉良吉田行きが発車しました。これで、鎌谷駅を発車する列車は終了です。お疲れ様でした。

平成18年12月15日23時50分 鎌谷駅

 最終列車が過ぎると、すぐに作業に取り掛かります。写真は、自動券売機の撤去作業と、それを見守る人々。

平成18年12月15日23時55分 鎌谷駅

 とりあえず、車で入り口が封鎖されています。そして、「鎌谷駅」と書かれた駅名板の取り外し作業中。そして、間もなく12月16日になります。

 
平成18年12月16日 鎌谷駅

 というわけで、平成18年12月16日の鎌谷駅です。駅は封鎖され、入ることができません。

鎌谷駅を通過する普通列車

 普通列車が鎌谷駅を通過。厳密に言えば、すでに駅ではないのですが。

 鎌谷駅の廃止により、福地と上横須賀が隣接駅となったわけですが、その駅間距離は3.1km。名鉄の駅の中で13番目に長い駅間距離となりました。三河線・三河知立-三河八橋間と同じ距離です。ちなみに、同様に布土駅が廃止された河和線・富貴-河和口間は8番目に長い3.5kmになりました。

平成18年12月16日 三河荻原駅

 続いて平成18年12月16日の三河荻原駅です。鎌谷駅と同様、駅は封鎖され、入ることができません。

三河荻原駅を通過する普通列車

 普通列車が三河荻原駅を通過。

 三河荻原駅の廃止により、上横須賀と吉良吉田が隣接駅となったわけですが、その駅間距離は4.2km。名鉄の中で3番目に長い駅間距離となりました。ちなみに、最も長い区間は知多新線・富貴-上野間間の5.8km、2番目に長い区間は名古屋本線・豊橋-伊奈間の5.0km、4番目に長い区間は知多新線・野間-内海間の4.1kmです。


 というわけで、廃止となった鎌谷駅と三河荻原駅の最終日の様子を紹介しました。これからは人口減少かつ機能向上が求められる時代。今回は小さな駅の話でしたが、今後も鉄道に限らず、様々な分野で廃止の話が出てくるかと思います。何というか、大変な時代に突入したもんです。。

このサイト(全・西・あ計画)のTOP PAGEに戻る 西尾線のHOMEに戻る
これが、西尾線。のHOME
 このページ